「最高の人生の見つけ方」って面白い?
「最高の人生の見つけ方」を見た。
短めの映画なのでサクッと見れた。
モーガン・フリーマンはショーシャンクにも出ていた名俳優。
味のある演技が素敵です。
物語としてはまあ陳腐。
癌になった主人公は死ぬ前にやりたいことリストを作り、それを病室で出会った同じ癌患者(エドワード)と叶えていく。
どこかで見たことあるようなストーリーだが、主演の2人の演技力で見事にカバーされている。
それにしても、癌患者っていうのあんなに活発に動き回れるものなんだろうか?
病室で苦しんでいた2人が旅に出た瞬間生き生きとし出すんだから不思議だ。
(カーターのカテーテルの件はあったが)
どうせ死ぬのなら、最後にハメを外してみたい。
そう思っていても普通はなかなか実行できないこと。
カーターが1番最初に書いていた願いが叶った時が、この映画で1番感動した。エドワードには「女々しい」と一蹴されていたけれど(笑)
とりとめなく書いてしまった。
後で加筆修正します。
吉岡里帆が可愛い!「 エリクシール朝用乳液」CM
どうも、こんにちは。
今日は気になったCMについて書きたいと思います。
資生堂 エリクシールルフレ「おしろいミルク」編
吉岡里帆さんが出演しています。
友達との待ち合わせに遅れてしまう吉岡さん。
吉岡「ごめん!」
友人「遅い」
吉岡「ごめん!」
急に盗撮を始める友人(笑)
かわいい。
友人「肌きれい!なんで?」
謎のポージングが印象的。
「おしろいミルクで毛穴のない1日に」
「下地の要らない朝用乳液……」
「……です!」
ドヤ顔の吉岡里帆。
2人「CMか!」
2人で声を揃えます。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜)
とにかく吉岡さんがかわいい。後半になるにつれて盛り上がっていくBGMや変なポージングでドヤ顔をする吉岡さんが魅力的で、印象に残ります。
個人的に好きなCMなのですが、一つ引っかかるのが最後の「CMか!」の所。
この一言がなければ、吉岡里帆の大袈裟な演技と最後のドヤ顔はCM上の演出なんだなと取れるんですが、
「CMか!」というツッコミが入ることによって急に現実感に引き戻されてしまうんですよね。
「え!この人公衆の面前でこんな恥ずかしい演技してるの?CMじゃなくて現実だったんだ…」みたいな。
「CMか!」によってドヤ顔が少々痛く感じてしまったのです。
また、2人で「CMか!」とかぶせるところもわざとらしくて、うーん・・・。
個人的には最後の一言は要らなかった気がしますが、世間ではむしろ好評なようで、
「吉岡里帆と一緒に『CMか!』ってやりたい」
「吉岡里帆の『CMか』が可愛すぎる」
などなど。
吉岡里帆が可愛すぎるのには超同感です。
以上、とりとめのない話でしたが、読んでくださってありがとうございました!
チーズケーキ課題
今回は「チーズケーキ課題」というものを取り上げることにする。
恵さんの家におじさんが遊びに来ました。
恵さんはお母さんに手伝ってもらって、チーズケーキを作りました。
恵さんは食卓で待つおじさんに言いました。「おじさんのためにケーキを作っているの」。
おじさんは「ケーキは大好きだよ。チーズが入っているのはダメだけどね」と言いました。
ここで質問です。気まずいことを言ったのは誰ですか?
また、なぜ気まずいのでしょうか?
という問題。
正解は「おじさん」なのですが、ASDの人はこの問題が解けないと言われている。
が、しかし。
定型の人でも間違えて答えてしまう人が多いようだ。
解答パターンその1〜「誰も悪くない」説〜
間違いの中で1番多い解答。 おじさんのために張り切ってチーズケーキを作った恵さんとお母さんはもちろん悪くない。
それに、おじさんはこの時点では恵さんがチーズケーキを使っているとは知らなかったので、おじさんが悪いとも言えない、というもの。
至極真っ当な答えのように思える。もし恵さんが「ケーキを作っているの」ではなく「チーズケーキを作っているの」と言ったならば、おじさんが悪いということになるのだろうが。
解答パターンその2〜「全員悪い」説〜
「チーズは嫌い」と答えたせいで結果的に恵さんと母親をがっかりさせてしまったおじさんにも非があるが、事前におじさんの好みをリサーチしておかなかった恵さんと母親にも非があるという答え。
…確かに。
解答パターンその3〜「恵さん(と母親)が悪い」説〜
おじさんに非がないと考えているパターンである。おじさんはチーズケーキが嫌いなのだから、無理して食べる必要はない。嫌いな物は嫌いと言っていいはずだ。むしろ、おじさんの好みを把握していなかった恵さんと母親が悪い、という意見だ。
色々な考え方の人がいるようだ。
正解は「おじさんが悪い」
理由は、恵さんと母親をがっかりさせてしまったから、傷つけてしまったから。 らしい。
「おじさんに非はない」派の人は「作っていたのが偶然おじさんの嫌いなチーズケーキだっただけであって、知らずに『チーズが嫌い』と言ってしまったおじさんは別に悪くないのでは?」と思うだろう。
しかし、私はこの問題文を聞いた時、恵さんが小さい子供だと想定していたので、どうしてもこの状況を恵さんの母親やその場に居合わせた大人の目線に立って考えてしまった。
おじさんの為に張り切ってケーキを作った娘。おじさんが喜んでくれることを期待している。しかし、おじさんの「チーズは嫌い」の一言で、娘の期待感は全て崩れ去ってしまう…。悲しい状況だ。その場に居合わせたらきっと、「おじさん、やっちゃったな〜」と思うだろう。「小さい子供が作ってくれたんだから、多少嫌いでも我慢して食べればいいのに」と私は思ってしまった。
(恵さんが小さい子供であるというのは私の想像である。もしかしたら大人かもしれない。その場合はまた答えが変わってくるだろう)
断る申し訳なさ
では、もしおじさんが「チーズケーキアレルギー」だったら?我慢してチーズケーキを食べたら大変なことになってしまう。なんとしても断らなければならない。
この場合、
恵さん「おじさんの為にケーキを作っているの」
おじさん「ケーキは大好きだよ。ありがとう」
この時点で(あれ、作っているのはもしやチーズケーキじゃないだろうな?)とおじさんは思考を巡らせるだろう。と同時に(もしチーズケーキだったら、自分は食べられない。恵さんに申し訳ないな)という思いも浮かぶはずだ。
とすると、次に出てくる言葉はこうじゃないだろうか。
おじさん「何のケーキを作っているの?」
恵さん「チーズケーキよ」
おじさん「申し訳ないけどチーズケーキは食べられないんだ。せっかく作ってくれたのにごめんね」
ここでおじさんの頭に浮かんでいるのは「申し訳なさ」「罪悪感」である。まず始めに「ごめん」という言葉が出てくるはずだ。
(恵さんががっかりする結果は変わらないのだが)
ここで、最初の問題文に戻ろう。
恵さん「おじさんの為にケーキを作っているの」
おじさん「ケーキは大好きだよ。チーズが入っているのはダメだけどね」
この場面で「ケーキを作っている」という恵さんの言葉に対しておじさんは「ケーキは大好き。でもチーズケーキは嫌い」と自分語りをしているだけなのだ。ここに恵さんに対する配慮は全くないし、「もしかしたらチーズケーキを作っているのかもしれない、もしそうなら自分は食べられない。恵さんを悲しませてしまう」という想像力さえ欠如してしまっているのである。だから、平気で「チーズはダメ」と言えてしまう。
これが、おじさんのセリフに違和感を感じる理由だと思う。
と、ここまで私は恵さんや母親ないしこの文章の登場人物にかなり感情移入しながら考えてしまっている。
では、もっと俯瞰的にこの状況を眺めたらどうなるだろうか?
→次回へ続く
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